先輩と後輩

 12月に入り、世間は慌ただしかった。この会社も世間の動きに合わせて、何となく忙しい雰囲気を醸し出していた。忙しいからといっても売り上げが伸びるわけではないのだが、雰囲気だけは世間に合わせた形になる。
 この時間、外回りや出張等が重なっており、営業第一課にいるのは新入社員の山田と4年目の大下だけであった。
 大下は山田の教育担当であり、山田の入社当初は必然的に会話も多かった。大下はなかなか立派なことを言うので、山田も良い先輩が教育担当で良かったと思っていた。しかし、大下は口だけ達者で、大して仕事ができないことで社内でも有名で、噂は山田の耳にも入ってきた。改めて大下のことを観察してみると、口先だけで全く行動が伴っておらず、典型的な口だけ番長のようだ。山田は大下の言うことは、表面的には聞いているフリをして、完全に聞き流すようになった。
 入社から半年が経過した頃には、大下は山田に数字でも抜かれるようになった。大下は相変わらずなんとなく立派なことをベラベラと喋っているが、山田は完全に聞いていなかった。大下のことを完全に見下しているのだ。 
 「山田、ちょっといいか?」 
 「なんでしょうか、大下さん」声をかけられた瞬間不機嫌になってしまったが、平静を装ってニュートラルに返答する。 
 「営業マンとしての死を自覚するとどうなると思う?」いつもの無駄話が始まりそうだ。大下は何となく哲学風に言ってくる。哲学がわかる俺はカッコいいという、中学生のような思想の持ち主である。山田も哲学に詳しいわけではないのだが、「哲学風」というだけで、哲学でもなんでもないのは何となくわかる。
 「なんでしょうかね?すごく難しそうですけど。」山田は一応話を合わせてやる。こういう態度は営業をやっていくうえでも大切な部分だろう。

 「そうなんだよ。とても難しいことなんだ。よく考えみた方が良いよ。山田はどう考える?ちょっと意見を言ってみてよ。」大下は勿体ぶって腕を組みながら、わざとらしく難しい顔を作った。

 大下にじっと見つめられた山田は、非常に面倒くさそうな顔をしている。とりあえず何か岩ならけばならないだろうか。

 「とりあえず、自信がなくなるということだから、どんどん営業成績が落ち込んでいくんじゃないだしょうか。」

 「うん、たしかにそういう面もあると思う。他にも色々あるから、よく考えてみると良いよ。こうやって考えた事実が一番大切だからさ。」

 大下というのは恐ろしい人物である。結局何も考えていなくて、「考えている空気」を出すためだけに山田に絡んでいたのである。よくTwitterなどで、「こういう形で考える機会になるのが大切」と、何となく「考えている空気」だけ出しているバカがいるが、大下はまさしくそれであった。 

 この発言で完全に話を聞く気が失せた山田は、「はい」と「へぇ」だけを繰り返す声出し機能付自動相槌機と化した。キーボードを叩きながら、聞いている雰囲気だけ出す。山田の態度もなかなかに酷く、普通の人は「おい、お前聞いてるのか?」と尋ねたくなるが、大下はバカなのでそんなことには全く気がつかない。

 「お疲れー」と営業マンにありがちなやたらとでかい声で挨拶をしながら、先輩が帰ってきた。やれやれ、やっと終わりだ。大下も先輩の前では少しは黙ってくれるだろう。

 「山田、ちょっといいか?昨日の件なんだけどさ」

 先輩に呼ばれ、仕事の話が始まった。やはり会社ではしっかりとした仕事の話がしたい。あんな訳がわからないバカに付き合っている暇はない。 

 山田は大下を切る決意を改めて固めた。