明け方の世界は美しい

 午前四時、いわゆる明け方。空はだんだん明るくなってきて、星がまだ白く光っている。街が少しずつ照らされていく。目覚める寸前あの人々を優しく見守っている。息を飲むような光景だ。なんて美しいのだろう。東京でもこんな景色が見られるなんて、東京もまだまだ捨てたものじゃないと思う。街は静まり返っている。早起きの人でもさすがにこの時間に起きている人は少ない。この街はまだ眠っているのだ。明け方に見守られながら。「眠らない街」なんていうのは、新宿とか渋谷とか東京でもごく一部の街の話で、東京都でも大田区の住宅地であるこの街は、まだ眠っている。
 マンションの十階のベランダから街を見下ろしている。このあたりには高い建物が少ないので、これくらいの高さからでも街を見下ろすという感覚がある。私は早起きなわけではなく、昨晩十二時頃にベッドに入ってから一睡も出来ずに朝を迎えた。そのおかげでこの光景を目にすることができた。なぜか今日はたまたまベランダに出てみようと思ったのだ。いつもであれば外に出てみようだなんて考えもしなかった。こんなに美しい光景が見られるのならば、早く外に出てみればよかったと少し後悔した。徹夜をして疲れた身体に美しい朝の光景は滲みる。不思議なことに、身体が疲れていると心も疲れている感じがする。病は気からという言葉はあながち間違ってはいないのかもしれない。すると、現在の私は何かの病気なのだろうか?最近寝つきが悪く、一睡もできないまま朝を迎えたことも一度や二度のことではない。何かにストレスを感じているのだろうか。いや、こんな気楽な大学生活にストレスなんて感じる要素もないはずだ。適当に授業に出て、適当にサークルに行って、適当にバイトして。大学生が精神的な不調を抱えるのなんてはしかみたいなものだろう。鬱を気取ってもしょうがない。適当に生きていくしかない。
 日本語には明け方を表す言葉がたくさんある。例えば、暁、東雲、曙、黎明、払暁、彼は誰時。「明け方」だけで意味は通じるのに、こんなにたくさんの表現が用意されているなんて、日本語は素敵だなと思う。
 そんなことを考えている間に、空はだんだん明るくなっていく。今日は九時から講義がある。そろそろ準備をしなければならない。
 時間が経つにつれて、眼前の光景はさらに美しくなる。朝焼け、マジックアワー。大学三年生。さっきはストレスを感じるわけがないと強がってみたけれど、色々と気にかかることはある。大学生はもっと輝いているはずだった。意識を高く持って行動しているはずだった。でも、みんながみんなそんな大学生活を送れるわけではない。自分の身の丈というのもわかってきた。私の悩みというのも、結局は守られた立場の中で悩んでいるだけだ。厳しい社会の荒波の中にいるわけではない。こんな風にウジウジしてられるのも贅沢な話だ。今の私は人生のマジックアワーなのかもしれない。この先も自分次第だ。コーヒーでも淹れて目を覚そうか。
 おはよう、世界。