山の中で暮らすことを決めた私がスーパーマーケットで不思議な人に出会う

 山の中の家で目覚めた。熟睡した感覚があるが、枕元の時計を見るとまだ6時前だった。少し開けたままになっていたカーテンの隙間から、柔らかい朝日が差し込んできていて、部屋の中は少し明るい。無理をしなくても、毎日この時間に自然と目が覚める。なんて健康的なのだろうか。
 東京に住んでいた頃は、携帯のアラームと爆音の目覚まし時計を併用して無理矢理起床し、重たい身体を引きずるようにして仕事に向かっていた。そこから比べるとえらい違いだ。人間として正しい生き方になっていると実感する。

 東京からこの田舎町に引っ越してきて1ヶ月が経過した。だいぶ街の雰囲気には慣れてきたと思う。徒歩圏内には何もない。ストレスがなくて心地が良い。隣の家とも距離があり、ご近所付き合いというものもないので、その点もストレスフリーだ。その点については、しっかりとこの地に根差していこうと考えるならば、色々と問題は発生してくるのかもしれないが、今の段階では考えることもないだろう。心と身体からだんだんと毒が抜かれ、浄化されていく感じがする。おそらく顔つきも変わってきたのではないだろうか?東京時代の知り合いに会ったら驚かれるような気がする。

 大学を卒業してから丸5年間営業職として働いていた。東京での仕事は仕事内容には一切興味が持てないし、拘束時間も長く、ストレスがから心身ともに限界だったので、田舎への逃亡を企てた。ストレスから逃がれるためには、ただ仕事を辞めるだけでも良かったのかもしれないが、東京から物理的に距離をとりたかった。東京を脱出すると決めて、それほどリサーチしたわけではないが、ネットでこの地域の空き家を見つけて、この地に居を構えることにしたのだ。

 家賃は2万円。東京でも血眼になって探せばこの家賃で住める家はあるかもしれないが、駅からとても遠かったり、風呂なしだったりとなかなか過酷な条件になることだろう。

 その点、ここの家はとても条件が良い。交通という点では田舎なので、最寄駅という概念はなく車が必須となる。しかし、他の要素では圧倒的優位に立っている。築年数は30年ほどだが、設備的には老朽化しているところもなく申し分ない。広さは3LDKで広い庭も付いていて充分、というか一人暮らしでは持て余してしまうほどの広さだ。このような家が空き家になっているなんて、日本、特に地方の衰退具合は凄まじい。自分が生きている間日本は大丈夫だろうか?そんなことも気になってしまう。

 東京でのサラリーマン生活は激務だったのでお金を違う暇がなく、それほど稼いでいたわけではないのだが、ある程度の貯金はあった。しばらくはそれを遣いながらゆっくりしようと思っている。幸いこの家は家賃もとても安いし、食料等も東京よりも安いので、固定費が削減できることから、しばらくは働かなくても暮らしていけそうだ。しかし、そのうち仕事はしなければならないだろう。これくらいの生活費で収まるのだったら、必要最低限を稼ぐために少しだけ働く生活をできれば良いと思っている。何か楽な仕事があれば良いが、難しければ田舎暮らしを発信するYouTubeやブログでお金を稼ぐのも良いかもしれない。考えが甘いだろうか?

 ベッドから起き上がった私はモーニングコーヒーを淹れて庭に出て、景色を眺める。山の景色は大変美しい。ここからの風景は毎日ほとんど変化はないはずなのに、やたらと小さい変化にも気がつく。東京ではもっと大きな変化が毎日起きていたはずなのに、全く変化に気づかなかった。東京生活で感覚も鈍くなっていたのだろう。朝食の後は読書をすることが日課だ。読書はこの地に来てから初めた趣味だ。これまで読書をしてこなかったので、どんな本を読めば良いのかわからない。しかし、読むべき本がビジネス書でないことはたしかだった。ビジネス書は、会社から課題図書を指定されて感想文を書くように言われてから、全く読む気がしなくなった。会社員時代ならともかく、今の私には全く必要がない代物だろう。

 結局、読書習慣がない私でも名前を知っていた村上春樹を読んでいる。賛否両論あるようだが、これだけ日本中、いや世界中で読まれている作家であれば間違いはないだろう。自分の嗅覚で面白い本を探し出すのはもっと読書に慣れてからで良いだろう。私レベルであればとりあえず有名な作家を読めば良いのだ。

 昼前になって買い物ついでにドライブに出かけることにした。この地域では車が必須だと言ったが、私の愛車はこちらに引っ越してくるときに10万円で買った軽自動車だ。さすが日本車である。走行距離はだいぶ重ねているが、まだまだ問題なく走りそうだ。

 スーパーマーケットまでは車を10分も走らせれば到着する。直行してしまうと面白くないので、あてもなく車を走らせることにした。

 東京では、免許を取ってから運転した経験が数回というペーパードライバーだった。運転は少し不安だったが、この地は道も広く、車も少ないので全く問題がない。ただ走らせるだけでも色々と景色が変わってとても面白い。

 30分ほどドライブを楽しみ、スーパーマーケットに着いた。かなり大型の店舗で、この地域唯一のスーパーマーケットで地域からとても頼りにされている。ホームセンター的な要素もあり、ここに来ればなんでも揃う。駐車場も田舎らしくとても広いため、運転に不安を抱える私でも安心して駐車することができる。  

 店の前のベンチに、一人の男が座っていた。