夏休みの最終日に読書感想文を書く

今週のお題「読書感想文」

 

 8月31日午後8時。夏休み最後の日の夜。読書感想文の宿題がまだ終わっていない。最終日に焦って宿題をこなしているなんて、漫画みたいで自分のことながら少し笑えてくる。しかし、読書感想文なんて、感想がある人が書けば良いのに何で全員に強制しなければいけないのだろうか?感想なんて絞り出すものではないと思うのだけど。文句を言っていてもしょうがない。とにかく、明日までに読書感想文を書かなければならない。

 分量は原稿用紙3枚。字数だと1200字になるわけだが、改行等も含めればもう少し減るだろう。だからといって会話をたくさん入れて改行しまくるのも不自然なのでほどほどにしなければならない。

 読む本は自分で決めて良いわけではなくて、課題図書が決まっている。5冊の中から1冊を選んで書く方式だ。5冊というのは、国語、数学、社会、理科、英語に対応している。幸い家には国語の課題図書があったので、わざわざ購入したり図書館に借りに行ったりする必要はなかった。私が買うわけがないので、家族の誰かが買ったのだろう。誰が買ったのだろう?家族に本好きの人はいないのだけど。

 本が手元にあったのは良いのだが、結局夏休み最終日まで一文字も読んでいない。元々私は本を読む習慣がないのだ。読書感想文の目的としては、私のように本を読まない生徒に本に親しんでもらう意味もあるのだろうが、読んでいないものはしょうがない。読んでいない状態からどうやって感想文を仕上げるか。既に最終日の夜になっているので、今から読むという選択肢は早々に消える。普段読書をしていない私が集中して読み切るなんて不可能だ。こうなった以上は、なんとかして読まないで書くしかない。

 まず、どのように書くのか作戦を立てよう。不真面目な生徒の読書感想文でありがちなのはダラダラとあらすじを書き連ねることだ。これは字数が稼げて良いのだが、今回の場合は課題図書が決まっているので、教師は当然ながらその本を読んでいる。教師が本を読んでいない前提であれば、本の紹介という意味であらすじの羅列にも多少の意味はある。しかし、教師が本の内容を知っているのならば、あらすじをダラダラと書き連ねることに意味がない。真面目に書いていないと判定されるだろう。

 そこで、どうするか。文庫本の後ろには「解説」が載っていることが多い。まずはここを読んでみる。これは読み物として成立している「読書感想文」のようなものだ。これを読むと、どんな内容なのかを大体掴むことができるし、どういうところが鑑賞のポイントなのかも把握することができる。ありがたやありがたや。この本はどうやら、中学生が主人公で、周囲の人の優しさで主人公が大きく成長していく物語のようだ。あまりにも「課題図書」という内容で思わず笑ってしまった。まあ、書くポイントは明確な本だな。そこはわかりやすくて良かった。解説を読んだことでますます読む気がしなくなった。この感想文を書き終えたら、この本を開くことは金輪際ないだろう。

 とりあえず内容が把握できたところで、本のタイトルでAmazonの検索をかける。Amazonには数多くのレビューが寄せられている。深い考察がされているレビューもたくさんあるので、大いに参考になる。この作品は100以上のレビューが寄せられていた。しかも力が入った長文のレビューも多い。これだけファンがいるのだから、やはり名作ではあるのだろう。まあ、名作だとしても私に合う作品なのかはまた別問題だ。上位に入っているレビューを読み込んでいく。読みながら感想文に使えそうなワードを拾っていく。

 読書感想文について勘違いしている人も多いが、これは本のことを書くのではなく、本を読んで私がどう思ったのか書けば良いのだ。だから、大体の内容が把握できてしまえば本の内容はそれほど関係ない。私がどう考えたかだ。その私の考えを、Amazonのレビューから拝借するのだ。もちろん一つのレビューからではなく、色々なところから良いところをつまみ食いしていく。何となく書く内容が見えてきた。

 ここまで来れば後は書くだけだ。原稿用紙3枚なら、勢いで書か始めても途中で内容が破綻してしまうこともないだろう。私は意気揚々と書き始めた。

 午後11時に完成した。3枚目の最終行まで使った力作だ。我ながらよく書けていると思う。とても本文を読まずに書いたとは思えない出来栄えだ。これなら夏休みの宿題としては全く問題がない。問題がないどころか、むしろ上位に入るのではないだろうか。表彰されるかもしれない。いや、それはさすがに調子に乗りすぎだ。

 これで私の夏休みの宿題は全て終了した。徹夜をすることもなく、良い気分で寝れそうだ。思えば、書き始めるときにも実はそんなに焦っていなかったな。予定通りだったんだな。

 それでは、おやすみなさい。